コミュニケーションのTOMOE

おかげさまで100周年

100年の歴史は1913年(大正2年)、東京市芝区西久保巴町から始まりました。 大正2年、新潟県高田市から青雲の志を抱いて上京した黒ア眞吉が東京市芝区西久保巴町(現在の港区虎ノ門三丁目)に巴弘告社を創業。社名の由来は誕生の地名を採ったものです。広告にはズブの素人でありましたが、地元出身の議員が東京の浴場組合の組合長をしていたことが契機となり「浴場広告」の実現を思い立ち、広告業としての第一歩を踏み出しました。その後、眞吉の時代を先取りする気質は、多方面に発揮されることになります。(写真:創業者初代社長 黒ア眞吉)

[創業〜昭和初期] ユニークな着想

[浴場広告] 東京市内の浴場広告を一手に展開。
[またぎ広告] 全国ネット(65都市)でも展開。
[キネマ広告] 東京駅待合室にキネマ広告を設置。
[広告塔] 広告塔を海外へ逆輸出。

[昭和初期〜戦前] 市民に大人気な装飾電車・博覧会

[花電車] 東京市電気局20周年記念花電車。
[装飾自動車] 大阪商工祭に30台製作。
[国産振興大博覧会] 南洋館、ラジオ館、蚕糸館の設計・施工。

[戦後〜昭和20年代] 交通広告再開・屋外拡大

[第1回鉄道広告コンクール最優秀賞受賞] 上野駅「クラブクリーム」女性像(東郷青児作)。
[日比谷モータープール看板] 連合軍総司令部のモータープールに9面の看板設置。

[昭和20年代〜後半] テレビの幕開け

[ロンパールーム(日本テレビ)] 野村トーイ提供。

[昭和38年] 創業50周年

[記念祝宴] (ホテルオークラにて)

[昭和50年代〜] 業容多角化

[「週刊少年ジャンプ」ETへのメッセージ] 読者を招待し、カリフォルニアの電波望遠鏡から宇宙に向けて発信。
[「イミダス」国際セミナー] 世界のノーベル賞受賞者を集めセミナーを運営。
Close